日本唯一のデジタル家系図

安心の永年保管

名字由来netの家系図作成サービス

名字・家系調査の実績No.1『名字由来net』では、専門的なノウハウが必要な戸籍調査、戸籍の解読、家系図作成、さらに戸籍以上の「専門調査」までを、家系図作成を含めた10,000件以上の実績のある名字調査、家系調査のプロが実施いたします。

調査結果をまとめた報告書、家系図、さらに弊社だけのオンラインで編集できる家系図を納品させていただきます。

多くの方にご満足いただいております

福岡県 N様
2021年11月18日

名字由来netに昔から興味があった。ネットで探す際、時々利用していた。
家系については無口な父親から生前何も教えてもらえなかったので、いつか調べたいと考えていた。今回、家系図作成サービスがあることを知りお願いすることになった。
子供に伝えることができることが一番よかった。
江戸時代まで遡れたことがよかった。江戸期の◯◯(ご先祖の出身地域の)当時の様子を更に調べることが今後の楽しみの1つになった。

神奈川県 O様
2021年09月06日

丁寧で良かった。思っていたより良い報告があったので良かった。

子孫に残せるものができて良かった。
満足しました。

兵庫県 Y様
2021年08月30日

お世話になりました。何年も前からnetを見ていて信頼できると思い依頼しました。丁寧でとても良かったです。
デジタル永年保管、時代背景を教えていただいたことが良かった。それを見ると現状との繋がりが理解できました。
祖母は名前と最後に住んでいた場所がわかっていたが、生まれて亡くなるまでが分かり驚きと祖母のことがわかり嬉しく思います。
丁寧な書類ありがとうございました。

埼玉県 M様
2021年06月27日

専門的で良かったから依頼。丁寧に戸籍が調べられ、一つの区切りになりました。
アドバイスもいただき、大変ありがたかったです。
家系図アプリも使ってみて、また折を見て本格調査ができればと思います。
今回は大変お世話になりありがとうございました。

神奈川県 M様
2021年06月27日

インターネットで調べてもっとも信用できそうだった。
後から付加できること、みんなで見られることが良い。
四系統依頼しすべて江戸期まで判明したことが良かった。

ご先祖が喜んでくれている気がします。
父の母方の先祖の姓は珍名でした。どんな家系なのか興味が湧きました。

広島県 M様
2021年05月23日

どんどん年をとり、世の中も変わってきている。昭和の子供の頃に祖父や祖母と暮らしていたことを懐かしく思うことが増えた。
戦争を生き延び、苦労話を聞いていたが、幸せだったのだろうかと思い、家系図作成をお願いした。
家系図作成サービスを利用したことで、祖父や祖母に言われて記憶していることが、やっと理解できた。家系図を見て、複雑さに驚いた。
家系図だけでなく、戸籍を集めてもらったので、自分で読んで、子供の記憶を理解しはじめた。満足。自分ではなかなかできない。

福岡県 S様
2020年11月25日

とても詳しく、そして深く調査していただいたこともですが、何よりとても親切、親身な対応、メールなどが一番よかったと思いました。
本当にこの度は大変お世話になりました。自分では想像もしていなかったご先祖様、名字の由来にびっくりしたと同時に大変感動いたしました。
御社に依頼させていただいて本当によかったと思いました。自分のルーツがわかり、お金では買えないくらい素晴らしい調査、資料を本当にありがとうございました。心から感謝いたします。

東京都 M様
2020年08月17日

現在、◯◯県にある墓は長女の自分が最後になるため、深く先祖の歴史を知ってから、墓じまい(永代供養)しようと検討していました。
江戸時代の身分、職業、文献調査も全て想像以上に調査していただき満足しています。
先祖が◯◯県から来たことは知らず、商人をしていた理由もわかりました。◯◯県の文献にも記録があったことに驚いております。
今後、追加で調査依頼することがある場合には、なにとぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

東京都 S様
2019年11月29日

インターネットでたまたま見て、アプリもあり、コメントなどを見て知りたくなりました。
家系図作成は昔の字が読めないし、調査も非常に大変だと思いました。感謝したいと思います。
誠にありがとうございます。今後も改めて追加しようと思います。

東京都 N様
2019年10月20日

丁寧でよかった。江戸時代まで遡れたこと。先祖のつながりが判明してよかった。
自分ではとてもできないことであったから満足。
今回の調査について、ありがとうございました。

家系図作成でわかること

「我が家にも家系図を残したい。」

戸籍調査では、ほとんどのお客様が150年以上前となる江戸末期のご先祖様に辿り着くことに成功しております。
戸籍調査以上の調査を行うことで、当時のご先祖様の暮らしぶりがわかったり、文献・古文書の調査では、なんとご先祖様のお名前を発見できることもあります。

家系図でルーツを辿る旅に出よう

「ご先祖様について知りたい。」
「祖父母までは知っているけど、その上のご先祖様はどんな人たちだったのだろう?」

ご先祖様とあなたの家系図が、お子様やお孫様、子子孫孫にまで、半永久的に編集可能なデジタルデータとして残る名字由来netで家系図を作成し、ルーツを辿ってみましょう。



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特別寄稿:【蛍原】の名字由来について

家紋と名字との関係

われわれの名字は明治5年に登録された

名字や家紋のユーザー投稿

伊豆倉さん
北海道帯広市にも見られる
【投稿日】2025年06月05日 【投稿者】keep1964さん
猖々谷さん
函館市に見られる
【投稿日】2025年06月05日 【投稿者】keep1964さん
籾山さん
札幌市にも見られる
【投稿日】2025年06月05日 【投稿者】keep1964さん
本多さん
孝昭天皇、孝安天皇、孝元天皇、孝霊天皇、敏達天皇、推古天皇、聖徳太子、天武天皇、持統天皇、皇極天皇、元明天皇の子孫である田中多太麻呂(天武天皇の曾孫)が九州や三河や北陸、関東など全国あちこちの開墾地につけた地名が本多です。孝昭天皇の妻の世襲足媛の別名が余曽多本毘売命で、そこから字を選び本多とつけました。田中多太麻呂本人も先祖の多がついた名前であり、本田という地名も田中がつけたもので、そちらは田中の田です。地名がダブり始めたために字を変えたと思います。田中の開墾した静岡にできた田中城の城主の今川、武田、一色、本多は全て田中子孫ばかりです。同じ田中子孫の徳川家康からも可愛がられ徳川重臣となった本多氏もおりましたが、家康の息子とは対立して、田中の本家別邸横手(先祖聖徳太子が未来の南海トラフ被災を予言していたため奈良時代から早々別邸を秋田横手に用意しました)があった秋田へ幽閉され亡くなり、本多氏は田中本家の田中町の菩提寺に埋葬されお墓があります。田中多太麻呂の子孫が桓武天皇、嵯峨天皇、平城天皇、清和天皇、陽成天皇、村上天皇、光孝天皇、宇多天皇など数え切れないたくさんの天皇や藤原北家南家にも嫁いだため、源平や藤原姓の田中子孫たちのうち、本多に住んだ人が地名を名乗っています。
【投稿日】2025年06月05日 【投稿者】こまちさん
鷲尾さん
千葉県八街市です。
【投稿日】2025年06月04日 【投稿者】しゅんいちさん
伊達さん
伊達の祖は藤原山蔭流中村氏と言われますが、中村氏には桓武平氏中村氏と清和源氏中村氏もあり、どの中村も田中氏の荘園地名を名乗っている田中子孫です。藤原山蔭の先祖は藤原魚名で田中の嫁父で、田中の身内小野の子孫です。孝昭天皇、聖徳太子、敏達天皇が共通先祖です。伊達は田中一族の伊都内親王と敏達天皇から組み合わせたと思いますが、伊都内親王の伊は田中先祖の石寸名の別名につく伊からと思います。
東海道や東北や北陸を開墾した田中。その息子の田中大魚は藤原魚名(小野と聖徳太子の娘片岡の子孫)の娘が産んだ子で造酒正という官職でした。小野と田中多太麻呂(天武天皇の曾孫)の共通先祖が敏達天皇で、その子孫美努王に橘三千代(天武天皇に長く仕えた女官)が嫁いでおり橘家と田中家とも縁組みした仲なので、田中は宮城に三千代から千代(せんだい)の地名をつけました。それを政宗が後世に改名したのですが、田中一族に三十六歌仙や台与がいるため仙台にしたのではないかと。
田中多太麻呂の娘吉備は宮中に上がる前に多太麻呂が亡くなり兄の大魚を父親代わりにして桓武天皇に嫁ぎ中臣王(平高望の先祖)と恒望王(清原令望の先祖)を生み、兄は若すぎ身分がまだ低いため、大魚の身内の中臣伊勢氏から中臣豊子と改名して箔をつけます。そのため田中と中臣の中、田中の先祖高向村主の村を組み合わせ中村の地名を各地につけました。そこへ田中子孫が住み名乗りました。
桓武平氏中村宗平も、伊達政宗も宗がつきますが田中は蘇我(宗我)の末息子が初代で、子孫はよく名前に宗をつけます。田中子孫の加藤清正、黒田長政、浅井長政、平高望の妹真砂子、北条政子、平良正も政や正がつき、大魚の官職造酒正の正ではないかと見ています。正に敏達の敏の右側を合体させると政です。田中の孫娘が嵯峨天皇に嫁ぎ田中澄を生み、その娘の田中保子の娘が清和天皇へ嫁ぎ清和源氏となり、桓武平氏も清和源氏も田中子孫であることから仲良く同じ荘園に住み縁組みした時代がありました。真田や水野や中村など源平両方に同じ名字がいるのはそのためです。田中子孫には藤原道長、平清盛、源頼朝、佐竹、足利、北条、毛利、武田、上杉、今川、小西、石田、真田、松平、徳川、豊臣、千利休もいます。
【投稿日】2025年06月04日 【投稿者】小町さん
澀谷さん
神奈川県より流れてきたと、言われました。
結構周りにいるので、ここに乗ってないのは驚きました。
【投稿日】2025年06月04日 【投稿者】しーさん
徳川さん
孝昭天皇、聖徳太子、天武天皇、持統天皇、元明天皇、皇極天皇、敏達天皇、推古天皇の子孫である田中多太麻呂が開墾した私有地の新田や太田の小字に子孫が徳川や得川の地名をつけていました。
田中氏の先祖の聖徳太子と石川宿禰から、先祖の字を組み合わせたのが徳川です。太田も太子と多太麻呂の太と田中の田の組み合わせた地名。先祖に新田部皇女がいるので新田も地名にしており子孫が名乗りました。聖徳太子の娘片岡女王と田中氏の身内の小野妹子との子孫が片野氏で子孫が藤原魚名。田中多太麻呂の嫁父が魚名。田中と魚名の子孫に藤原得子がいます。得子は源平ハーフです。得子の先祖も聖徳太子なので一族が地名に得と徳を両方使っていたのだと思います。桓武平氏も清和源氏も田中子孫で、源平は身内同士であることから田中氏の荘園に同居して仲良く縁組みしていた時代もありました。徳川家康の先祖を辿ると源平ハーフなのですが家康は源氏と称し、田中子孫の源平ハーフ豊臣秀吉とは仲が良くなかったです。得子の得だと源平ハーフと分かるので源氏の時代になると徳の字を選んだ可能性もあります。松平、平松、松井も田中氏が先祖名の組み合わせでつけた地名です。田中子孫が松平、徳川を名乗りました。私の父も三河松井松平家と平良文子孫の秩父氏流太田家と宇多源氏佐々木家の子孫で出羽田中総本家に婿入りしています。
【投稿日】2025年06月04日 【投稿者】こまちさん
松平さん
愛知を奈良時代に開墾して地名をつけたのが聖徳太子末裔の田中王の孫であり、天武天皇の曾孫である田中多太麻呂(東海道節度副使)です。賀茂郡の小字が松平で、田中氏の子孫が賀茂や加茂や松平を名乗っています。
天武天皇の別名が浄御(み)原天皇。御原を三原というように三とも書きます。田中先祖星河女王や縁組み相手の先祖藤原河子に河がつきます。
田中(天武天皇子孫)と橘(天武天皇に長く仕えた女官が橘姓を賜った)の縁組みの子孫の橘真都賀(まつが)が藤原是公へ嫁ぎ吉子が生まれ桓武天皇に嫁ぎ伊予親王誕生。
田中多太麻呂の娘吉備(中臣豊子襲名)も桓武天皇へ嫁ぎ中臣王(平高望の祖父)を生み、伊予親王の侍従に。
田中の孫継子(豊子の姪)が平城天皇へ嫁ぎ生まれた内親王を伊予親王へ嫁がせました。田中の娘と婿藤原乙叡との娘平子を桓武天皇に嫁がせ生まれた伊都内親王は平城天皇の阿保親王に嫁ぎました。
継子が皇太子候補を産み、側室ライバルの藤原薬子から冤罪に巻き込まれ、伊予親王と吉子、中臣王、乙叡、豊子、継子の父豊国、中臣王の弟恒望(清原令望の祖父)も亡くなりました。
中臣王の孫の平高望がこの冤罪のしがらみで理不尽な待遇をされ悔しさから桓武平氏を興し、茂世王(藤原河子の子孫)の娘と結婚。

天武天皇の三、藤原河子と星河女王の河で三河、橘真都賀の賀と乙叡の先祖加須利王と高望の嫁父の茂世王の茂の組み合わせで賀茂や加茂となり、田中の先祖木氏と藤原是公の公の字を組み合わせると松、田中の先祖孝昭天皇の別名が観松彦~~で松がつき、橘真都賀(まつが)の『まつ』でもあり。乙叡の先祖真平王と乙叡の娘平子と継子の夫の平城天皇と桓武平氏にはみな共通の平がつくので合わせて松平です。ちなみに田中氏の平城時代の菩提寺は平松にありました。逆バージョンもあります。
日本の地名に松竹梅を使ったのは田中氏です。田中の孫は嵯峨天皇に嫁ぎ、その子孫田中保子の娘が清和天皇に嫁ぎ清和源氏につながります。桓武平氏と清和源氏は田中子孫同士、仲良く縁組みした時代もありました。
田中の先祖新田部皇女から新田、田中先祖の聖徳太子と石川宿禰から徳川の地名もつけてあり、松平を名乗ったのは田中関係者です。
【投稿日】2025年06月04日 【投稿者】小町さん
泉端さん
坂出市にある名前ですね。
【投稿日】2025年06月03日 【投稿者】つばささん
岩手さん みんなの家紋のはなし
花菱
【家紋名】花菱
【都道府県】山梨県

清和源氏/甲斐源氏武田氏族の岩手氏の祖の【新羅三郎義光『手島義光』】の家紋。
【投稿日】2025年06月04日 【投稿者】豊治の次男さん
さん みんなの家紋のはなし

【家紋名】扇と四方木瓜
【都道府県】長崎県

全くわかりません。
【投稿日】2025年06月03日 【投稿者】ターボさん
坂元さん みんなの家紋のはなし
中輪に五つ丁字
【家紋名】中輪に五つ丁字
【都道府県】鹿児島県

墓石、盆提灯
【投稿日】2025年06月02日 【投稿者】坂ちゃんさん
坂元さん みんなの家紋のはなし
中輪に五つ丁字
【家紋名】中輪に五つ丁字
【都道府県】長崎県

墓石、盆提灯が、あります。

【投稿日】2025年06月02日 【投稿者】坂ちゃんさん
六戸さん みんなの家紋のはなし
花菱
【家紋名】花菱
【都道府県】青森県

青森県六戸町、大元は山梨県。『奥州に生きる甲斐源氏』清和源氏武田氏族南部一族六戸氏の祖の【新羅三郎義光『手島義光』】の家紋。
【投稿日】2025年06月02日 【投稿者】豊治の次男さん
五戸さん みんなの家紋のはなし
花菱
【家紋名】花菱
【都道府県】青森県

青森県五戸町、大元は山梨県。『奥州に生きる甲斐源氏』清和源氏武田氏族南部一族五戸氏の祖の【新羅三郎義光『手島義光』】の家紋。
【投稿日】2025年06月02日 【投稿者】豊治の次男さん
中村さん みんなの家紋のはなし
丸に変わり十字
【家紋名】丸に変わり十字
【都道府県】山形県

祖父は山形県米沢市の出身です。
裏家紋は「違い鷹の羽」だそうです。
今は関東に住んでいます。
【投稿日】2025年06月02日 【投稿者】そーさん
四戸さん みんなの家紋のはなし
花菱
【家紋名】花菱
【都道府県】青森県

青森県五戸町若しくは岩手県二戸市。大元は山梨県。『奥州に生きる甲斐源氏』清和源氏武田氏族南部一族四戸氏の祖の【新羅三郎義光『手島義光』】の家紋。
【投稿日】2025年06月02日 【投稿者】豊治の次男さん
三戸さん みんなの家紋のはなし
花菱
【家紋名】花菱
【都道府県】青森県

青森県三戸郡三戸町。大元は山梨県。『奥州に生きる甲斐源氏』清和源氏武田氏族南部一族三戸氏の祖の【新羅三郎義光『手島義光』】の家紋。
【投稿日】2025年05月31日 【投稿者】豊治の次男さん
二戸さん みんなの家紋のはなし
花菱
【家紋名】花菱
【都道府県】岩手県

岩手県二戸市。大元は山梨県。『奥州に生きる甲斐源氏』清和源氏武田氏族南部一族二戸氏の祖の【新羅三郎義光『手島義光』】の家紋。
【投稿日】2025年05月31日 【投稿者】豊治の次男さん